大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)5533号 判決 1971年2月10日
原告 西原健八こと韓公余
右訴訟代理人弁護士 堀弘二
同 太田忠義
同 増井俊雄
被告 日本国有鉄道
右代表者総裁 磯崎叡
右訴訟代理人職員 安田栄
<ほか五名>
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、請求の趣旨
被告は原告に対し、金七〇〇万円およびこれに対する昭和四二年五月一五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびにこれに対する仮執行の宣言。
二、被告の答弁
主文同旨の判決。
三、請求の原因
(一) 事故の発生
原告は、昭和四二年五月一四日二〇時四四分頃島根県仁摩郡仁摩町仁万所在の被告経営の山陰本線仁万駅で、折から停車中の下関発米子行き八二八号普通旅客列車から待合室付近のプラットホーム上に下車しようとしたところ、同列車が発車したため下車途中の原告の身体は動揺し、そのため、右足を同列車とプラットホームよう壁間にはさまれて転倒したが、同列車が停車しないでそのまま進行したため、原告は、右足をはさまれたままホーム北端まで約一〇〇メートルひきずられて放置された。原告は右事故の結果、頭部外傷、右下腿開放性骨折兼下腿筋断裂、右下腿循環障害による壊死、第一腰椎圧迫骨折、第一、二腰椎横突起骨折、右第一〇肋骨骨折の傷害を受け、国立大田病院に入院し右下腿部を切断され、その後も入院加療を続け、昭和四三年四月二四日退院したが、第一腰椎圧迫骨折は完治するに至らず固定して後遺症として残った。
(二) 被告の損害賠償責任
1、被告は、鉄道による旅客の運輸事業を営むものであるから、運送契約上旅客に対し、旅客を一定地まで車両で運送するばかりでなく、その際運送中はもとよりプラットホーム上の乗降客の安全をも十分に確保する債務を負い、その一環として、列車を発車させるに当ってはプラットホーム上の乗降客の安全を確認した上で発車合図をし、また、発車後も列車監視を続け万一旅客に危険が現実に生じたときは即時停車の合図をし緊急救助をなす等の義務を負っている。
しかるに、本件事故発生当時被告仁万駅助役としてプラットホーム上の乗降客の安全確認、発車合図、その他の安全業務を担当していた訴外田中博夫は、業務上必要とされる乗降客の安全確認の上での出発合図を怠り原告が下車途中であるのに出発の合図をなしたばかりでなく、発車後の列車監視を怠ったため本件事故の発生と同時に原告が叫び声をあげて救助を求めたのにもかかわらず、これを看過し緊急時の即時停車合図、緊急救助等の措置をとることなく漫然と列車を進行させたものであり、それが原因となって本件事故は発生したものである。
2、仮りに、本件事故の発生が訴外田中による注意義務違反を原因とするものではないとしても、被告において駅を設置するに当っては日本国有鉄道建設規程の定める安全規準に合致する規格、構造を有するプラットホームを設置する義務があり、日本国有鉄道建設規程によれば、被告のプラットホームは、その表面が水平であり、軌条面からの高さが〇・九二メートル、軌道中心からプラットホームの端までの距離が一・五六メートルという規準に合致するように設置するよう定められているのに、本件事故現場の被告のプラットホームは、その表面が水平に保たれておらず、原告の降車した西側の軌条面からの高さの方が反対側よりも〇・一メートル低く傾斜しており、また西側部分の高さのみを比較しても、待合室付近では〇・六二五ないし〇・六三メートル、プラットホーム北端より約四〇メートル南寄りの地点では〇・七三五メートル、同一三メートル南寄り地点では〇・八三メートルとなっており、〇・二メートル以上の高低差があるうえ、正規の高さからみて〇・一メートル以上低い構造になっており、かつ、軌道中心からプラットホームの端までの距離が一・五六メートル以上あるという構造上の欠陥を有しており、これは民法七一七条の「工作物の設置、保存の瑕疵」に該当するものであり、これが原因となって、本件事故は発生したものである。
したがって、被告は原告に対し、運送契約上の債務不履行、もしくは被用者の事業執行上の過失による使用者責任、または土地の工作物たるプラットホームの設置保存の瑕疵による責任を原因として、本件事故の発生によって原告が受けた損害を賠償すべき義務がある。
(三) 原告の損害
(1) 得べかりし利益の喪失
原告は、本件事故の発生前は、仁万町大字二万栄町の商業区域においてパチンコ遊技場を経営し、経費一切を除いて月平均一〇万円以上の純益をあげていたが、本件事故による長期入院のため同店の閉鎖および他人への譲渡を余儀なくされた。
原告は、本件事故がなかったならば就労可能の二六年間に得ることのできた利益(ホフマン式計算による現価)一、九六五万四、八〇〇円以上を失い、これと同額の損害をこうむった。
(2) 精神的損害
原告は、昭和四年一二月一八日生れで、旧制大阪府立市岡中学中退後主に遊技場関係の職に従事し、本件事故当時は三七才で、妻および未成年の子四人の家族生活上の主宰者として、前記の営業をなしていたが、本件事故後は収入の道を失い、親族らの援助により生活している状態である。また本件事故後原告の長女訴外正子は、東京朝鮮高等学校を退学し、就職せざるを得なくなった。
他方被告は原告に対し、本件事故の翌日頃見舞金二、〇〇〇円を届けたのみである。
その他原告にはなお前記のような本件事故による後遺症があること等一切の事情を参酌すると、原告の精神的損害を金銭により評価すれば少くとも四〇〇万円以上に達するものである。
(四) 本訴での請求範囲
よって、原告は被告に対し、運送契約上の債務不履行、民法七一五条(七〇九条)、七一七条を選択的に請求の原因として、得べかりし利益の内金として五〇〇万円、慰謝料の内金として二〇〇万円の合計七〇〇万円、およびこれに対する本件事故の翌日である昭和四二年五月一五日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を本訴において請求する。
四、請求の原因事実に対する認否
(一) 請求の原因第一項の事実中、原告がその主張の日時頃被告仁万駅構内においてその主張にかかる列車から降りた際、頭部外傷、右下腿開放性骨折兼下腿筋断裂の傷害を受けたこと、事故後国立大田病院に入院したことは認めるが、その余の原告主張の下車地点および事故発生の経過・情況は否認し、その余の原告の受傷内容は争い、入院後の原告の様態については不知。
原告は、本件事故当日仁万駅に近い自宅に帰宅するため八二八号列車の前から三両目の客車の中央付近座席に乗り、飲酒後の仮眠中であったことから、同列車が仁万駅に停車したことに気付かず、同列車が仁万駅を発車した後になって他の乗客から起こされ、はじめて下車すべき仁万駅を発車したことに気付いたが、その時には既に列車は相当の速度で進行しており、かつ原告自身飲酒のため足元が不安定であったにもかかわらず、あわてて同車両の後寄りデッキからプラットホームの北端から約一三メートル南寄り付近に飛降りたため、原告は第三、四両目の客車の間に転落し、そのために本件事故が発生したものである。
(二) 同第二項1の事実中、被告が鉄道による旅客の運輸事業を営んでいること、本件事故発生当時被告仁万駅助役の訴外田中博夫がプラットホーム上の乗降客の安全確認、発車合図その他の安全業務を担当していたことは認めるが、その余の事実を否認する。
被告仁万駅では、本件事故発生当時、前記田中および駅務掛坂田武好の二名がいずれも所定の位置であるプラットホーム南端付近および待合室の北側付近で列車監視、乗降客の安全監視等の業務に当っていたが、何ら異常は認められなかった。
同項2の事実のうち日本国有鉄道建設規程にはプラットホームの軌条面からの高さは〇・九二メートル、その縁端から軌条中心までの距離は一・五六メートルとすべきことが規定されていること、および本件事故が発生したプラットホーム西側のうち、待合室付近の高さが〇・六三メートル、北端より一三メートル南寄りの地点の高さが〇・八三メートルであることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。本件仁万駅のプラットホームは、日本国有鉄道建設規程の施行前に設置されたものであり、このような場合には同規程の基準に合致しなくても許容される旨の経過規程もあり、本件プラットホームは、通常の旅客の乗降に支障を来さない範囲で合理的に設計されたものであって原告主張の設置上の瑕疵欠陥は何ら存しない。
本件事故は、前記のような原告の無謀な飛降りに起因する原告の自損行為であって、被告は原告に対し何ら損害賠償義務を負うものではない。
(三) 同三項の事実中、原告主張の各損害額については争い、その余の事実は不知。
五、証拠関係≪省略≫
理由
一、原告が、昭和四二年五月一四日二〇時四四分頃被告経営の山陰本線仁万駅構内において、八二八号普通旅客列車から降りた際、何らかの原因および経過で事故が発生し、頭部外傷、右下腿開放性骨折兼下腿筋断裂の傷害を受けたことは当事者間に争いがない。
そこでまず、右事故発生の原因とその経過について判断する。
(一) ≪証拠省略≫によれば、原告が右八二八号列車から下車したときの情況は次のとおりであったことが認められる。すなわち、
右列車は、仁万駅に定刻の二〇時四四分三〇秒頃に到着し、所定の停車時間の三〇秒が経過した頃同駅を発車したのであるが、原告は、右列車到着の時には、前から三両目の客車の中央部の座席で、靴を脱ぎ肘かけを枕にして横になってよく眠っていた。そして同駅から乗車した友人の児島久友に声をかけられて目を覚ました原告は、あわてて起上り靴をつっかけるようにしてはき、後寄りの乗降口(プラットホーム北末端線から約六〇メートル南寄りの辺に位置していたことが、機関車の停止標識の位置および機関車・客車の長さの相関関係から、推測できる。)の方へ出て行ったが、児島は、前から二両目の座席に落着いたものの原告が無事に降車できたかどうか心配になり、列車の発車直後にプラットホーム上を見たが原告の姿を発見できず、また三両目のもと原告の居た席まで引返してみても原告が不在のため、原告が進行中の列車から下車する際に転落したのではないかとの不安を強めた。そこで児島は、このことを車掌に連絡して原告の安否を確認してもらうべく車掌を探して最前部の車両まで行ったが出会うことができなかったので、再び引返して順次客車内を探して歩き、二〇時五一分頃前から六両目の客車の後寄りの所で車掌を発見し、今までのいきさつを話して仁万駅へ原告の安否を照会してくれるよう依頼し、(同列車の客車一両の長さは二〇メートルであるから、この間児島は進行中の列車内を約一八〇メートルも行ったり来たりしたことになる。)また、石見大田駅で下車した際にもわざわざ同駅事務室に立寄って、先に依頼しておいた照会の結果を尋ね、原告の転落事故を確認した。
そして、右認定事実によると、眠っていた原告に声をかけた児島が、その後に原告の安否を気づかってとった言動は通常の場合には考えられない程のものであり、このことは声をかけられた原告のその後の行動に進行中の列車から転落するような他人を危慮させる異常なものがあったことを推認させるに十分である。
(二) 次に、≪証拠省略≫を総合すれば、本事故は、右列車進発直後の二〇時四八分頃被告仁万駅の助役田中博夫および駅務係坂田武好らによって発見確認されたものであるが、その時の原告の状態は次のようであったことが認められる。すなわち、
原告は、発見された際仁万駅上り線用プラットホームの北末端線から約一・六メートル南寄りのよう壁と上り線東側軌道との所に頭を北に向けて仰向けに倒れてうめき声をあげており、その右下腿の筋肉はぐしゃぐしゃに断裂され骨がのぞいていたが、原告の着ていた背広は肘や背中辺が多少ほころびていた程度であった。また、原告の倒れていた付近には、原告の足の位置から約一・五メートル南寄りに粉砕された骨の一部と肉片があり、そこから更に約一一メートル南寄りの線路側溝内に原告がはいていた靴の片方(左足用か右足用かは不明)が、また更に約二メートル南寄りのプラットホーム上(プラットホーム北末端線の約一八メートル南寄りでかつホーム平坦部北端線から約一三メートル南寄りの地点)にもう片方の靴がそれぞれ発見されたほかには、プラットホーム上を人がひきずられたような形跡は見当らなかった。
(三) 本件事故によって原告が受けた傷害の程度について検討するに、≪証拠省略≫によると前記当事者間に争いのない傷害のほかに、原告は右下腿循環障害による壊死、第一腰椎圧迫骨折、第一・二腰椎横突起骨折、右第一〇肋骨骨折および全身打撲擦過傷の傷害を受けたこと、その結果原告は事故発生当日から昭和四三年四月二日まで国立大田病院に入院していたが、その間原告の受けた大きな手術としては、右大腿を膝関節上部で切断し義足を装着したほかには、頭部を一か所何針か縫ったことがかぞえられることが認められる。
(四) 右(一)ないし(三)に認定した諸事実を総合して判断すれば、本件事故は、原告主張のような態様と経過によって発生したものではなくて、列車の発車間ぎわに眠りから起こされた原告が、既に列車は四〇メートル位進行していたのに、これから下車すべくあわてて前から三両目の後寄りの乗降口から、プラットホーム北末端線から約一八メートル南寄りの地点に飛び降りようとした際、狼狽していたため判断を誤り足を踏みはずして列車とプラットホームのよう壁との間に転落し、進行している列車に約一五メートル引きずられ、その間に右足を轢断されるという経過で発生したものと推認するのが相当であり、右認定に反する原告本人尋問の結果の一部は措信できない。
二、そこで次に、右のような事実関係のもとで、被告が本件事故について損害賠償義務を負うか否かについて判断するに、事故当時前記田中博夫助役が乗降客および列車の安全業務を担当していたことは当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫によれば、八二八号列車が発車した時には、同助役はプラットホーム平坦部南端線から二六・七メートル北寄りの地点に、また坂田駅務係はホーム中央付近に立ち、同列車が駅構内の最遠転てつ機を通過し終るまでこれを監視していたが、何ら異常を発見することができなかったことが認められるが、前記のように本件事故は原告がその無謀な飛び降りによって自ら招来したものであり、しかも原告はホーム上に着地した次の瞬間にはホーム下に転落したのであるから、同助役らが原告の転落するのを発見できなかったのも無理からぬところがあり、被告には、運送契約により、あるいは民法七一五条(七〇九条)により要求される注意義務の違反はなかったものと解するのが相当である。
また、プラットホームの構造をめぐる運送契約上あるいは民法七一七条による被告の責任について考えるに、前記認定の本件事故発生の経過・態様に照らせば、本件の原告のように無謀な飛び降りを敢行すれば、たとえ原告の主張する日本国有鉄道建設規程の規準どおりの安全設計に基づくプラットホームが設けてあったとしても、やはり本件のような結果の生ずるのは避けられないものと推認できるので、仮りにプラットホームに設置保存上の瑕疵があったとしても本件事故はそれに起因して発生したものではないから、プラットホームの設置保存上の瑕疵と相当因果関係を有しないものであり、したがって、この点においても被告には本件事故の損害を賠償すべき義務はない。
三、以上の次第で、本件事故は被告の責任原因に属しない原告の無謀な飛び降り行為によって発生したものであるから、被告には本件事故によって原告の受けた損害を賠償すべき義務はなく、義務あることを前提とする原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく、失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 野田栄一 裁判官 中山博泰 山崎宏征)